1面 No.31 2024年12月21日 能登半島地震・障害のある人たちの支援活動ニュース やわやわと 「やわやわと」は能登の言葉で「ゆっくり・急がず」 発行:日本障害フォーラム(JDF) 能登半島地震支援センター TEL 070-3288-2303 FAX 050-3457-6915 E-mail jdfnotoshien@gmail.com 〜一年・・・あの日を忘れない つながり続けます〜 私は、あすなろふたばぱいんの会でお世話になりました。作業中、私が不慣れなのを見て声をかけて頂き、とても助かりました。今回は丁度、災害支援センターの広報誌を帳合し、輪島市の全戸にポスティングするという仕事に携わりました。明らかに人が住めない状況の住宅も半数近くあり、この光景が日常であることに、そしてその中で生活をされている方々に何もできなかったという思いもあります。それでも、輪島の町は情緒があり、海も近く、とても良い町だと実感できました。旅行にもまた来たいです!(神奈川県・金田圭二) 写真 全壊の家が残る場所でポスティング 写真 和倉温泉の地割れ 七尾市に近づく頃だろうか、かがり火の車窓から見える田園風景から徐々にブルーシートが目立ち始めてくる。 道路はガタガタで亀裂が入り、路肩や歩道はほぼ手付かずの状態で、歩いていても躓き転倒しそうになった。視察で訪問した輪島、珠洲、町野、能登町の建物被害は想像以上に壊滅していました。中でも9月の豪雨でさらに追い討ちをかけたであろう、土砂崩れや泥水のあとが生々しく物語っていました。 やなぎだハウスの利用者にも、当時の様子や心境、これからの夢や思いなどたくさん伝えて頂きました。厳しい状況下での2度目の冬本番を迎える事になると思うと心身が心配になります。 けど、利用者の皆さんはいつも笑顔で優しくて頼もしくて、きっと寒さなんか跳ね除けるじゃないかなとも思ったりしています。最後私たちに送ってくれた「I LOVE YOU」の言葉。涙が出そうでした。 短い期間でしたが、手話もたくさん教えて頂き、ありがとうございました!また忘れものを取り行きます! 「 l LOVE YOU ALL 」(高知県・金平智史) 2面 〜支援スタッフが感じたこと〜 2回目の能登支援。またもやチームリーダー、メンバーに恵まれ活動する事が出来ました。宿泊先の女将さんは「また来てくれてありがとう」と手を握り、支援から帰ってくると「遅くまでご苦労様」朝も早くから見送ってくれます。何だか居心地の良い場所となっている。地震の復旧が進まない事は日々、ニュースで見聞きしているが、改めて現地に入ると9月21日の豪雨の被害が輪島、珠洲などの広範囲に及び、山の土砂崩れ、川の泥水に木々が散々に倒れていた。橋の崩落、田んぼの稲が収穫間近で薙ぎ倒され、地震に追い打ちをかけるかのような災害であった事に間違い無かった。 輪島朝市は更地となってきた。五島屋ビルの倒壊は少しずつ撤去が始まっている。白米千枚田からの道が繋がり、被災地視察で今回が初めての道を走った。海岸の隆起で海底だった部分が出没するなど風景は良くも悪くも変化していた。今回は一互一笑の支援に入った。市役所のトイレ掃除はプロ並の作業で圧巻だった!放課後デイの子どもたちとは、ゆったりとした時間を過ごした。そして何と言ってもランチが絶品に美味かった!また、たべたーい笑笑。(神奈川県・岩山みどり) 写真 応援メッセージ 写真 本田事務局長と一緒に記念撮影 浸水被害で床板をはがしコンクリートにブルーシート敷きという作業室。底冷えし、隙間風が入ってきます。支援2日目、送電盤が故障、停電!たった一つのストーブも消え、みな震えあがりました。春夏から進めてきた改修も業者がようやく設計図と見積もりを出してきたところ。今冬どう乗り切っていったらいいのでしょう。それでも、利用者は「あの時(発災時)よりはまし」「明日は仕事できる?」とたくましい。障害のある人たちの希望をつむぐ事業所を何としても支えたい。通院支援した方も、仮設訪問した人にも「また待ってるからね」と。また、来ます!!(奈良県・小針康子) 能登には震災後の1月14日から、きょうされん先遣隊で入って以来でした。11カ月後の被災地は大型トラックも多く入り変化もありますが、復旧・復興があまりにも遅れ生活再建の滞りを強く実感しました。 私は、輪島、穴水、七尾等を車で走り回って、依頼者の移動と目的先での支援に携わりました。車中や待ち時間等にお話しし、美しい自然と復旧・復興の遅れを眺め、再び被災地で支援に参加できて被災者の前向きな思いや姿にふれて、多くを学び力をもらえました。普段の仕事は、直に当事者の方と話す機会も少なく、震災の時のこと、生い立ちや家族のこと等を聞けて、とても有意義な機会となりました。(東京都・多田薫)