被災地支援センター
支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で!
みやぎ支援センターニュース(ゆい)No.49
日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部
【2011年10月8日】
本部センター 仙台市青葉区五橋2-12-2
電話:080-4373-6077 FAX:022-266-0292
東部センター 涌谷町本町99-7
電話:0229-43-6639 FAX:0229-43-6685
メール:jdf.miyagi@gmail.com
ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/index.html
延べ支援員数 743人
9/30現在
9月末をもって北部支援センターを閉所し、
東部支援センターに一本化しました。
4月28日から始まった北部支援センター(登米市・若葉園)を10月2日で閉所し、東部支援センター(涌谷町)にJDFの支援拠点を統合しました。東部支援センターでは支援員規模を縮小し最大12名程度で引き続き支援活動を行います。
支援最終日の30日には、各支援先(のぞみ福祉作業所・風の里・ゆい・ワークショップひまわり)にこれまで各クールで書きためてきた色紙をお渡しし、ごあいさつをしました。どの支援先でも、私たちの活動に対して温かい言葉をいただくことができ、スタッフ一同熱くこみ上げてくる思いでした。
1日(土)の大掃除中に、のぞみ福祉作業所・畠山施設長が気仙沼市で作られたケーキの差し入れをしていただきました。2日(日)の引越し日には、恵泉会・若葉園管理者・赤松様がお休み中にもかかわらず見送りに来ていただきました。5ヶ月間に及ぶ、支援を続けられたのは恵泉会様のご協力が無ければ成り立ちませんでした。
これまでの南三陸町での風の里(相談支援センター)への常駐と個別移送支援等については、東部支援センター(涌谷町)に引継いで、11月末をめどに支援を行っていくことになります。北部支援センターは閉所しますが、支援に来た全国のスタッフ一人ひとりが、ここで感じたこと、知ったことを職場に持ち帰り、どこかで復興支援の力になってゆきたいと思っています。
たくさんの方々のご協力のもとで北部支援センターでの支援活動を継続することができました。みなさん本当にありがとうございました。
~女川町被災障がい者支援から見えてくるJDFの役割~
女川町に昨年12月、障がい者の仕事場「きらら女川」が産声をあげました。働きがいのある仕事を得て、いきいきと働いている障がいのある人々に、地域の方がたが今まで抱いていた障がい者観に大きく影響を与え始めていました。その矢先、何もかもが津波により持っていかれてしまいました。2名の利用者の尊い命までも。
生き残った私が所長として出来たことは、仲間の安否確認をすることくらいでした。私は立ち上げのために女川町に入っていたこともあり、「所長は早く鳥取へ帰れ、ここに居ても何も出来はしない。家族が心配しているから」と人を思いやる優しさに背中を押され震災から約1か月後に、仲間たちを残したまま被災地を後にしました。その後、何度か精神状態は不安定なまま被災地へ来ては、仲間とお互いに「生きている」重さを確認していたような気がします。
半年以上の月日が流れ、やっとJDFの支援員として志願しようという前向きな気持ちになることが出来ました。それは私が何も出来なかった期間を、また震災直後の混乱した中を、スタッフとして現地入りした全国の支援員たちの、地道で弛まぬ活動が被災障がい者、そして私をも支えてくれたからです。頑張れないときはいいんだよ。それまでは任せていいんだよ。そういう気持ちに包まれ、鋭気を養い、そして「震災」によってもたらされた様々な出来事に正面から向き合い始めることが出来るようになったのだと思います。
今、被災者自身が前を向いて歩けるような兆しが見えたとき、活動を再開できるようになったとき、それがJDFの収束の時期でもあります。JDFはたくさんの人びととのつながりを広げ、人と人とをつないでいく。ともすれば震災以前よりももっともっと素敵な関係性をつなげていき、みんなが一丸となってこの震災を乗り越えていけるそんな下地を作り上げる縁の下の力持ち、それがJDFなのだと思います。
今、女川は、障がい当事者自身も含め、新しい障がい者観のもとに、誰もが安心して暮らせる新しい町づくりに着実に力強い歩みを進めています。未来はきらきら輝いてみえます。
第28クール 松原千晶(鳥取県・ひかり)
支援のあしあと
初めての震災支援。しかも北部支援センターの最終クールということで、どんな活動ができるのか、正直不安を持ちながらのスタートでした。
支援に入った気仙沼、南三陸町の景色は、言葉を失うものがありました。四季折々の景色や人息づかいが感じられた町が、突然消え去り廃墟のように変わり果てしまった姿。そこにどれだけの深い哀しみや苦しみがあるのかを想像させられました。
支援では、気仙沼にある作業所に入らせてもらいましたが、ここは震災直後から施設を24時間開放されたそうです。避難所で過ごすことは障害を持つ人や家族には大変なことであり、周囲の人に気を使いながら過ごさなければならなかったこと、利用者も家族も作業所に来ては泣いておられたことなど、たくさんの貴重なお話を聞かせていただくことができました。
障害者やご家族の拠り所として奮闘されてきたスタッフの皆さんには、脱帽する思いと共に、職員さんの中にも被災している方々がおられ、心身の疲労感が出てきているようにも感じました。
短くて長い一週間でしたが、支援を通じて東北の人たちの力強さ、あたたかさに触れ、人として大事なことは何かを改めて感じ、考えさせられました。たくさんの人たちと出会い、パワーをもらえたことを本当に感謝しています。大阪に帰っても、それを大切にして仕事をしてゆきたいと思います。本当にありがとうございました。