被災障害者を支援する為の情報を掲載。

JDF災害総合支援本部

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被災地支援センター

支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で!
みやぎ支援センターニュース(ゆい) No.25

日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部
みやぎ支援センター・みやぎ北部支援センター

【 2011年7月2日 】
仙台市太白区・萩の郷福祉工場内
電話:080-4373-6077 FAX:022-244-6965
メール:jdf.miyagi@gmail.com

登米市東和町・若葉園内
電話:090-8349-9403 FAX:0220-45-2223
メール:jdf.miyagi.hokubu@gmail.com
ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/index.html


■ 命をまもり、つないで、育む ■

 震災後3ヶ月あまりが経過し、みやぎ支援センターの活動も徐々に変化をしてきています。私たちの直接支援活動は時間の経過と活動の変化をもとに3段階に分けることができると考えます。
 第1段階は、避難所や事業所を訪ねて障害のある方の安否を確認し、必要な手立てをする「命をまもる活動」です。第2段階は、安否確認ができた方たちから避難所生活や被災したことで食料や物資、住まいなど生きていくために必要な支援をさまざまな救援団体とつながって支援していく「命をつなぐ活動」です。第3段階は、避難所生活から仮設住宅に移ったり事業所が再開して日常生活を取り戻す中で、暮らしや仕事への支援を関係する支援団体と共に行い、震災前よりもより良くなるよう「命をはぐくむ活動」です。
 地域や一人ひとりの状況によって暮らしの変化は全く違うため、わたしたちは丁寧にそれぞれに合った支援を進めています。

写真1:7/2の女川海岸・・・まだまだ厳しい
写真1

■ JDFには障害分野のエキスパートが ■

 「話がしたいんです。被災した同志だとお互いにつぶれてしまいそうなので、話を聞いてくれる人に話をして、こころのもやもやを吹き飛ばしたいんです」。避難されている自閉のお子さんをお持ちのお母さんのことばです。第3段階の「命をはぐくむ活動」では、具体的な要求がぶつけられます。話を聞いてほしい。仕事を探してほしい。仕事の工夫をして欲しい。引っ越し先を探してほしい。こうした支援は、JDFに集うわたしたちの普段の仕事により近いものです。北海道から沖縄まで全国から約500名の施設や事業所の職員が交替で支援に当たってきました。相談支援員、作業療法士、看護師、生活支援員等々日々切磋琢磨していることも役にたてたいと考えています。(第14クール事務局長 磯部)


被災地派遣支援員大募集

お電話おまちしています080-4373-6077
■活動内容 支援員・・・被災者訪問によるニーズおこし・ニーズ対応など
事務局・・・電話相談、庶務、広報、会計など
■活動場所 宮城支援センター(仙台)・みやぎ北部支援センター(登米)


支援のあしあと

障害のある方との対話数
1407人(6/30現在)

■ 家族の暮らしをつなぐ放課後支援 ■(南三陸町・Y君)

 南三陸町で被災し、今は仮住まいで祖父母と一緒に暮らしているY君(小1)の放課後支援を、地域活動支援センター風の里の紹介を受けてしています。曾祖母の入院で祖母は週2・3回の付き添いに。祖父も仕事です。祖父が帰宅するまでの間、見守りをしてほしいという依頼がありました。
 Y君は犬と石コロが大好き。夕方までたっぷり遊んで過ごします。祖母は「この街の皆さんにYのことを知ってもらい、いろんな人の助けを借りながら暮らしていきたいんです」と。私たちJDFが今やるべきこと、存在の意味を実感する瞬間でした。そして、祖母の「ありがとう」の言葉に励まされ、勇気をもらったのでした。

写真2:南三陸町・Y君
写真2

■ 支援員の専門性で新たな風そよぐ ■(山元町・やすらぎ作業所)

 JDFの作業所再興支援はまもなく2ヶ月を数えます。それぞれに専門性をもった支援員が毎週交代で支援に入ります。今週は作業療法士。この日は就職希望のAさんに対する職業相談を引き受けました。履歴書の添削や面接時の応対の仕方をアドバイスし、Aさんも少し自信を付けたようでした。発達障害のある子どもをもつ母親のお悩み相談もしました。支援員が得意分野で力を発揮。作業所再興に弾みがつけばと思います。

■ 一本の電話でつなぐ命 ■(南三陸町・Oさん)

 夕方、みやぎ北部支援センターに一本の電話。「明日すぐ病院に連れて行ってあげて!」。
 南三陸町で被災し、大崎市N温泉の避難所で生活するOさんは、遠く離れた病院に通院できないため薬が切れてしまい、体調を大きく崩しました。父親は「娘の様子がおかしい!」と避難所の管理者に助けを求めました。管理者は南三陸町の保健師に連絡。前出の電話は保健師からのものでした。
 JDFは翌朝、1時間半をかけて大崎市まで親子を迎えに行き、2時間かけて気仙沼市の病院に送り届けました。無事薬を受け取り、ひと安心。街は少しずつ復興の歩みを進めていますが、障害のある人々にはまだまだ「命を守る」支援が必要です。


支援員の声

延べ支援員数
491人(7/2現在)

前号の6/29現在の延べ支援員数は490人でした。
訂正しお詫びします。

写真3:東京都 石川 剛 様
写真3

石巻市にある福祉事業所に一週間支援に入りました。被災された方々に何ができるだろうと被災地を見るたびに考えさせられました。私にできることは、そんなにない。ただでしゃばらず、確実に一歩ずつ進んでいけるように活動しました。(石川 剛 東京都)

写真4:東京都 有馬 匡子 様
写真4

震災から月日が経過し、物資だけではない、目に見えない心の奥底にある悩みに傾聴することの大切さを学びました。孤立すること防ぎ、人と人の繋がりを感じながら生活できることを切に願っています。(有馬匡子 東京都)
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